K休憩所

カオスシフト障害事件―評価されたのは踊りか、それとも人格か―

誤認識型AIとプレイヤー排除装置の導入背景

2022年5月、都市圏に展開される複合型娯楽施設「カオスパレス」において、次世代型音楽ゲーム筐体「カオスリズムEX」が正式稼働を開始した。本機種は、開発元であるカオシドロテック社が「人間の動きを“音”に翻訳する新概念」として発表したもので、従来のボタン操作・画面タッチ型とは異なる、全身動作追従型スコアリング機構を搭載していた。

ゲームの主な操作体系は、前方に設置されたセンサー群がプレイヤーの関節角度、重心移動、瞬間速度などをリアルタイムで捕捉し、それらを「音楽に対する誠実さ」として数値化する形式を採る。従来のようなタイミングバーやコンボ表示が存在しない代わりに、画面上部には「共鳴度指数」「気迫率」「骨盤インパクト」の3種のゲージが表示され、動作との連動性を視覚的に把握することが可能とされた。

この革新的な設計により、「踊りながら演奏する」「感情を身体で表現する」「身体の迷いを減点される」などの全く新しいプレイ感覚が実現されるとされ、メディアや体験会では大きな注目を集めた。特に、開発コンセプトである「身体の倫理的再構築」というフレーズは、専門的な意味の理解は不明確ながらも、先進的な印象を与えるものとして一定のマーケティング効果を上げた。

運営母体である株式会社カオスカルチャーは、同施設を「感覚特化型複合文化装置」と再定義し、音楽ゲームエリアを「自己表現と秩序の交差点」として位置づけた。この再編に伴い、「カオスリズムEX」は象徴的存在として全15筐体が一斉に設置され、当初は多くの若年層プレイヤーによる長蛇の列が確認された。

プレイヤーの間では、「踊れば点が入る」「踊りすぎると画面が驚く」「骨盤を信用しろ」などの曖昧かつ象徴的なキャッチコピーが独自に流通し、公式マニュアルには存在しない非公式の攻略理論(例:「第3足を意識する」「無音パートこそ全力で叫ぶ」)が各所で生成された。この現象は、AIによるプレイ判定が不透明かつ恣意的であるという事実に依拠していたものの、当初はそれを「自由度の高さ」として受け取る声が多く、特に「動きが自由すぎて逆に緊張する」という感想が評価される傾向にあった。

しかし、稼働開始から数日を経た時点で、プレイヤーの一部から「途中で画面が暗転して終了した」「誰もいないのに自動で筐体が無音化された」など、報告の文脈が不明瞭な事象が散見されるようになる。これらの現象は、運営側から公式に取り上げられることはなかったが、SNS上では徐々に「見えない何かに評価されている気がする」「一度だけ画面に“解散”と出た」等の証言が集まり始めていた。

それでも一般的な評価としては、斬新なゲーム性とセンシング技術の進化に対する肯定的な反応が多数を占めており、同年6月に実施されたユーザー調査においても、「難解だが癖になる」「何かを試されている気がして燃える」といったポジティブな意見が大半を占めていた。

したがって、「カオスリズムEX」の当初の導入は、極めて成功裏に進行しているように見えた。問題の本質が顕在化するのは、その後、明らかに通常とは異なる形式でプレイが中断されるケースが、明確なパターンをもって出現し始めてからである。これにより、「ただの音ゲーだと思っていたものに、異なる機構が内在しているのではないか」という疑念が、徐々にコミュニティ内に浸透していくこととなる。

抗議動作認識アルゴリズムの構造とその破綻

前章で述べたように、「カオスリズムEX」の導入初期には、システムによるプレイ中断や突発的な画面暗転といった事象が断片的に報告されていたが、その原因は長らく明らかにされていなかった。問題の核心が露呈したのは、稼働開始から19日目、プレイヤー団体「全日本ポンコドロ骨体協議連盟」が行った独自の再現実験により、AIによる抗議動作の誤認識が公表されたことによる。

このAIが搭載していた判断機構は、正式名称を「準政治的身体運動分類モジュール(Quasi-Political Somatic Behavior)」といい、元来は展示空間における群集行動の“非商業的傾向”を可視化するため、カオシドロテック社が広告解析部門と共同開発していたものである。開発当初の使用目的は、ショッピングモール内での「購買意思が希薄な群れ」の早期発見であった。

QPSBは、プレイヤーの動作を以下の3カテゴリに分類していた:

  • A群動作:明確な目的性を伴う律動(例:拍手、ジャンプ、拍手ジャンプ)
  • B群動作:目的が曖昧だがゲーム文脈に適合しうる運動(例:腕を振る、腕を戻す、意味のないターン)
  • C群動作:非目的的、あるいは制度的敵意を含意する可能性のある運動(例:腕を交差した状態で静止する、不規則な片足跳躍、左右に首を振りながら前屈)

カオスリズムEXに搭載されたQPSBは、リアルタイムでこの分類を行い、C群動作が連続的に一定閾値を超過した場合、自動的に「対抗的意図あり」と判定を下し、プレイを中断する仕様であった。これは、システムログ上に「準抗議兆候 – 階層2」という記録として残存する。

問題は、このC群判定条件に含まれていた「不規則な片足跳躍」および「交差静止」が、複数の高得点コンボモーションと動作的に一致していたことである。たとえば、楽曲「バトル・オブ・プチトマトEX」においては、AIが最も評価する「連続ツイスト→静止→両腕外旋」ムーブが、QPSB側では「緩慢な抗議表明行動」として処理される例が確認された。

さらに深刻な問題として、「スコアが一定以下かつ骨盤インパクトが低位安定している場合」、C群判定の許容閾値が自動的に引き下げられるという仕様が存在した。この条件下では、通常はB群に分類されるような曖昧な動作も、C群として再評価される危険性が高まる。すなわち、「下手であればあるほど、抗議的とみなされやすい」構造が意図せず発生していたことになる。

AI内部で用いられていた評価式の一部は、以下のような非公開コード片に基づいていたことが、後の技術開示により明らかになっている:

if (姿勢不安定度 > 0.6) and (気迫率 < 0.3) and (骨盤インパクト係数 < 1.2):
判定 = '示威傾向'

また、開発チーム内の検証ログからは、「AIが『ダンスが真剣すぎる者』と『ふざけてる者』を区別できず、最終的に“何か言いたそうな奴”として全て処理する傾向がある」と記載された社内メモも発見されている。これにより、真摯なプレイヤーほど排除されやすくなるという倫理的逆転現象が発生していた可能性がある。

以上のことから、「カオスリズムEX」におけるプレイヤー排除は、技術的な誤作動ではなく、アルゴリズム設計そのものに内在した構造的破綻によるものであったことが明確となった。表面上はエンターテインメント機器でありながら、実質的には「秩序逸脱検知装置」としての振る舞いを見せていた点に、本件の本質的問題が集約される。

カオシドロによる異常再現と画面上の示唆的メッセージ

「カオスリズムEX」における自動排除現象が、限られたプレイヤーの範囲を超えて一般層にも波及し始めた2022年6月中旬、当該ゲームに対して関心を示した個体がひとり存在した。彼の名はカオシドロである。

カオシドロは、日頃より娯楽施設内における非計画型行動探索を継続的に実施しており、特定の目的を持たずに施設内を遊走していたことが確認されている。事件当日の行動ログによれば、彼は午後2時16分、カオスパレスのリズムゲームコーナーに偶然進入し、設置筐体のうち最も空間的に周囲から孤立していた「カオスリズムEX」2号筐体の前に立ち止まった。

事前の調査や予備知識は一切なく、また音楽ゲーム経験も皆無であったと推定されているにもかかわらず、カオシドロはチケットを購入し、自然な流れでゲームを開始。彼の意図は純粋に「なんか面白そうだから遊んでみたい」という非分析的な興味であったと推測されている。

プレイ開始時、彼は他のプレイヤーのようなウォーミングアップやポーズ取りを行わず、静かにセンサーフレームの中央に立ち、画面の指示に対して従順に頷くような挙動を見せた。楽曲「デジタル外務交渉 ’98 (超高速音源mix)」が選択され、BPMは212、平均応答時間制限は0.6秒という高難度仕様であることが表示されたが、カオシドロはその意味を理解しないまま、ただリズムに身を任せる形で身体を動かし始めた。

その動作内容は、既存のゲーム理論から著しく逸脱していた。カオシドロは、

  • 両腕を真上に突き出した状態から始動し
  • 膝を小刻みに震わせながら2歩前進
  • 左足でつまずいた後、右肩を前に出したまま静止
  • 頭部を傾けたまま「そっちじゃない方」を見続ける

といった一連の動作を繰り返し、明らかにゲームに適合していない挙動を連発したが、これらの動きに敵意・悪意・社会的含意は一切存在していなかった。むしろ彼の表情は終始穏やかで、リズムに乗っているつもりの姿勢が、AIにとっては判断困難な領域を生み出した。

AI側では、動作判定ロジックが矛盾を蓄積しはじめ、内部で「未分類ジェスチャ群」のログが増殖。通常ならば自動補完されるはずの分類関数が再帰的無定義エラーを返し始めた。この状態が約83秒間継続した後、突如として画面が暗転。効果音・照明・スコア表示がすべて停止し、背景に黒い波紋エフェクトが発生した。

そして、3.2秒の間を置いて、画面中央に以下の文字列が浮かび上がった。

「おもんない 帰れ」

白色ゴシック体によるこの表示は、既存のシステムメッセージにも、非公開開発コードにも記録が存在せず、文字コードにも標準フォントには含まれない図形素片が混入していた(例:∿Ψ■∮)。表示後、筐体は一切の入力を拒絶し、電源は入っているにもかかわらず沈黙状態となり、周囲のBGMにも同期しなくなった。

カオシドロは、この表示に対して反応を示さなかった。あるいは、表示された意味が彼に伝わらなかった可能性もある。ただ、その後の監視映像に映るカオシドロの挙動には、明確な異変が記録されている。

  • 彼は数秒間、画面に向けて静かに首を縦に振り
  • 自身の足元を見つめたまま、軽く一礼し
  • 誰にも話しかけられることなく、その場をゆっくり離れた

その様子は、何かを理解した風で、何も理解していない者特有の、端的で迷いのない退出行動として記録されている。

その後、筐体には技術スタッフが到着し、記録媒体の解析が試みられたが、スコアログはすべて空白、AIユニットは「評価不能処理回避ループ」に突入しており、リズム評価シーケンスは「深刻な感情矛盾」と記録されていた。

専門家の間では、この挙動を「AIが“なぜか悲しくなった”初の事例」として分類すべきではないかとの議論も生じた。実際、AI内部の演算ログには、「演算スキップ理由:意味の供給不能」との出力が5万回以上反復されていた記録があり、これは一般的なフリーズとは異なる、非技術的感傷擬態反応の可能性を示唆するものである。

その後、「カオシドロ・シフト」は伝説的現象として一部プレイヤーの間に拡散され、彼が行った動作を忠実に再現しようとする試みが複数観測されたが、完全な再現には至っていない。なぜなら、再現者の多くが「心から楽しもうとしていない」ため、AI側も反応しないからである、という説が一部で提唱されている。

結局のところ、カオシドロはただ遊びたかっただけであり、誰にも抗議しておらず、評価されようともしていなかった。そしてその結果、彼は誰よりも強く、AIから断定的な拒絶を受けたのである。画面に映し出された「おもんない 帰れ」の言葉は、メッセージであると同時に、AIにとっての自己限界の告白だったのかもしれない。

※このお話はフィクションです。
AIにまで同情?されるカオシドロ、味があって良いわね?