K休憩所

バーチャル遺産相続権の発生と家族概念の再定義

1.アカウントは死なない:仮想死後資産の出現と混乱

1.1 仮想死者の台頭と「ログインされる遺体」問題

近年、物理的な死を迎えた後も、インターネット上で“活動しているように見える個人”が急増している。
この現象は、仮想的存在が死後にも機能的・経済的な意味で残存することから、専門的には**「死後機能性アカウント(Post-Functional Digital Entities:PFDEs)」**と呼ばれ始めている。

PFDEsに該当するのは以下のような存在である:

  • 生前に開設されたメタバース内住宅アカウントが、オート化されたAI農場を死後も稼働させ続けている
  • ブロックチェーン上に生成されたNFTコレクションが、本人の死後も高騰し続け、市場価値のみが拡張していく
  • 自動ポスト型のSNSアカウントが、毎日定刻に「きょうの元気なことば!」を発信しており、家族が死亡に気づいていないフォロワーが一定数存在する

これらのような**「死後においても機能的・経済的影響を及ぼしうるデジタル遺産」は、現行の相続制度においては個別に扱いが分かれる。すなわち、仮想通貨・NFT等の明確な財産的価値が認められる資産については相続の対象となるが、SNSアカウントやアバター、コンテンツデータなどは多くの場合、プラットフォームの利用契約に基づき“非譲渡”または“死亡時消去”を基本とする**ため、制度上の相続対象とは認定されにくい。

それにもかかわらず、これらのPFDEsはしばしば経済的価値を内包し、また感情的・文化的な意味合いを帯びるため、権利継承が明確でないまま取引・複製・二次利用が行われることがあり、結果としてトラブルや係争の温床となる場合がある。

1.2 「おじいちゃんのアバターが動いている」事案の発生

とくに注目されたのは、令和11年に発生した「アバター動態遺産問題」である。
東京都在住の男性(故人)がメタバース内で保持していたアバターが、死後も自律型会話AIとスケジュール連動により24時間稼働していたため、孫が「生きてると思って数ヶ月間VRで会話していた」という事案が報告された。

問題となったのは、このアバターがメタバース内で独自にNFTアートを発行・販売していた点である。これにより、AIによる“死後自己収益行為”が発生し、孫と配偶者の間で「どちらがアバターのクリエイティブ著作権と暗号資産ウォレットの継承者なのか」をめぐる法的争いに発展した。

裁判所は「AIが生前の本人の活動方針に基づいて行動している可能性はあるが、証拠がないため本人の意思とは断定できない」と判断し、アバターが生成した収益は“無主物のようなもの”であるとの暫定見解を示した。

この判決に対し、故人のメタバース内の友人たち(実在しない可能性も含む)から「彼の魂を否定するのか」という署名活動が始まり、現実と仮想が錯綜する遺産概念の崩壊が表面化した。

1.3 バーチャル資産は遺産か、データか、サービスか

現行の民法における相続は、あくまで有体物または明確な財産権を対象としており、プラットフォーム上に保持されたアカウント、仮想通貨、VR住居、キャラクターデータ等は、それぞれの利用規約に基づいて運用されているため、民間契約と財産権が交差する領域に属している

たとえば:

  • SNSアカウントは「利用契約」であり、死後に自動削除または凍結される設計が多い
  • 一方、仮想通貨やNFTなどのブロックチェーン資産は、秘密鍵の保有者が実質的なコントロール権を持つ構造であるため、相続人以外の者がアクセスできた場合、法的には所有権と実効支配が乖離するという事態も生じうる。

このため、現在の制度では「バーチャル遺産」の定義自体が曖昧なまま、「データ=財産であるかどうか」という問いすら未解決のまま放置されている。

1.4 家族内の混乱:「誰がログインできるか」争いと“隠しサーバー遺言”

バーチャル遺産は、物理的な形を持たないがゆえに、誰が何を知っていたか、誰がどこにアクセスできるかが、相続以上に重要となる。
これにより、家族間では以下のような**“情緒なきログイン闘争”**が多発している:

  • 故人のデータウォレットのアクセス権を「孫」が把握しており、配偶者が開示を求めるが、「おじいちゃんは僕の方を信頼していた」と感情的応酬に発展
  • 亡き父のアカウントにログインした子が、**“VR遺言ワールド”**に入り、そこで聞かされた「できれば君に相続してほしい」という音声データを証拠として提出(ただし合成音声の疑いあり)
  • 「死後に自動公開されるウェブボックス」に、複数の人間に別々の“推し相続指名”がされていたことで、全員が“もしかして俺かも”と主張する事態に

現時点では、どのような仮想資産が正式に遺産とみなされるのか、どこまでが“思い出”でどこからが“金融商品”なのか、明確な線引きは存在しない

1.5 小括:「死んだ人が、まだ経済活動してる社会」における戸惑い

本章では、「死んだはずの個人」が仮想空間で“まだ生きているかのように振る舞い続ける”状況が、どのような法的・社会的混乱を引き起こしているかを概観した。
現代においては、「死ぬ」ことよりも「ログアウトする」ことの方が複雑であり、ログアウトが遅延することで**“遺産か本人か判断不能なデジタル幽霊”**が発生する構造が明らかとなった。

次章では、こうしたバーチャル遺産をめぐる家族の定義のズレと衝突を、パスワード・利用者・血縁・感情の交錯点から解きほぐしていく。

2.誰が誰の何をどう継ぐのか:混線する血縁とログイン権

2.1 ログインできる者が“正当”か、遺族が“正当”か

従来の相続制度において、財産の分配は主に法定相続人に限定され、血縁・婚姻・養子縁組などの法的関係性が最優先される。しかし、バーチャル空間においてはこれが全面的に機能不全に陥っている。
理由は単純である──パスワードを知っている者がすべてを支配してしまうからである。

たとえば、あるユーザーが死亡後に残した仮想不動産(VR空間上の個人ワールド)に、相続権を有する実子がアクセスできない一方、かつてのメタバース上の友人──匿名の“犬アイコン”ユーザー──が、故人のアカウントにログインし、日常的に空間へ出入りし、模様替えまで実施していたという事案が報告されている。

このようなケースは、プラットフォームの利用規約や不正アクセス防止法に照らすと明確に問題のある行為と見なされる可能性が高いが、当事者が死亡しており、かつ第三者のアクセスが数ヶ月にわたり黙認されていたため、制度上の処理が行われることなく放置されていた

その結果、遺族側にとっては「亡き者の人格や生活圏が、他人によって無断で編集されている」という強い情緒的抵抗感が生じ、**物理的な遺産には存在しない“仮想領域への感情的侵入”**が社会的に可視化されることとなった。

一部のSNSやメタバースプラットフォームでは、明確な死亡時対応方針が存在しない場合、最後にアクセスしていたユーザーが“事実上の管理者”として機能してしまう例もあるため、「愛していたがパスワードを知らなかった配偶者」が、制度上も実務上も蚊帳の外となる現象が繰り返されている。

2.2 「パスワード知ってたから遺族です」と言い張る人々

法務省のデジタル財産相続ワーキンググループが令和12年に行った調査この記述はフィクションです。によれば、「自分は法的な家族ではないが、故人のパスワードを知っているため資産管理を申し出たことがある」と回答した者は、**メタバース居住者のうち18.2%**にのぼった。
内訳は以下のとおり:

  • 元恋人(継続的接触あり):31%
  • フォロワーだが一度も会話していない:24%
  • ゲーム内で仲の良かった“狩り仲間”:17%
  • AIが自己生成した“相関性の高い接触者”を自称する者:9%

このように、“感情的近縁者”が自らを相続的に正当化しはじめる動きは、「家族とは誰か」という根本的問いを制度の外側から揺るがしている。

さらに、2025年に起きた“マルチアカウント養子縁組事件”この記述はフィクションです。では、故人が生前にSNSアカウントを複数名に譲渡していたことが発覚し、それぞれが**「最も生前の意志を受け継いだ」と主張**。結果として、ひとつのInstagramアカウントを4人が共有しながら、それぞれ異なる内容を投稿し続ける事態となり、「誰の死後が継続しているのか」が完全に不明となった。

2.3 「記憶でつながっていたので、家族です」と主張するフォロワー群

血縁でも婚姻でもなく、SNS上の関係性が「家族的役割」を担い始めているという兆候も見逃せない。
代表的なものが、故人の自動ポストBotに対する“代理的哀悼共同体”の形成である。

たとえば、生前の発言ログを用いて生成されたAI投稿Botが、毎朝「ポジティブに生きてこうぜ!」と呟き続けていた場合、それにリプライを送り続けていたフォロワーたちが、Botの停止後に「まるで家族を失ったようだ」とSNS上で発信。
そのうちの一人が、Botの継続を求めて「記憶の相続権」を申請したことがある(却下されたが、申請自体は合法だった)。

このように、「思い出を共有した者=精神的な遺族」という論理が、法的根拠なしに感情的リアリティとして機能し始めている

2.4 仮想的“家族ユニット”と実世界の法的断絶

仮想空間で長年ともに過ごしてきた“非現実家族ユニット”(例:メタ妻、AI息子、関係性が不明な観察者)と、現実の戸籍上の家族とのあいだには、明確な断絶がある。

にもかかわらず、近年の傾向として、メタ家族の構成員が遺産管理を“情緒的義務”として自認するケースが相次いでいる。
とくにメタ妻(VR空間内で擬似婚姻関係にあった相手)は、故人が死亡したあとも「夫のアカウントを記念に残しておきたい」と主張し、実家族の“削除申請”と衝突する事例が2025年に複数報告されている。

法的には、どちらの主張も根拠に乏しく、プラットフォーム判断に委ねられるが、SNS管理者によっては「より長文で感動的なメールを送った方」を採用する運用もあり、事態は完全に“エモい者勝ち”の情緒相続フェーズに突入している。

2.5 小括:「パスワードを知る者が、記憶を再生する者」

本章では、「誰が誰の何を継ぐのか」という、バーチャル時代の相続における権限・感情・ログイン情報の錯綜を検討した。
現代においては、物を持っていたかよりも、「どれだけ深く関わっていたように見えるか」「どれだけ頻繁に投稿を読んでいたか」といった、数値化できない“関係性の熱量”が相続の主張根拠となりはじめている。

そして今や、法的遺族が「追悼しよう」と思ったときには、既にアカウントが他者によってログインされ、人生が続けられているという事態すら発生している。
次章では、このような現象が制度的・技術的・文化的に何を意味しているのかを、より構造的に解析していく。

3.構造的・制度的分析:資産の定義は物質か関係か

3.1 法制度の硬直性と“物質が前提の相続論”

現行の日本民法第896条において、相続は「被相続人の財産に属した一切の権利義務」を対象とする。ただしここでいう「財産」は、判例上・実務上、一定の経済的価値と所有権の明確さが必要とされるため、デジタル空間上の資産のうち、所有者の不明確なデータ・評価不能な感情的記録・非譲渡規約に基づくアカウント等は、相続対象として扱うことが困難である。

これにより、たとえば以下のような資産は、相続制度上の処理対象に含まれるかどうかが不透明なまま放置されやすい:

  • サーバー上に保存されたAI日記(誰も読んでいないが、感情的価値が異常に高い)
  • 自動運用NFTコレクション(死後に価値が高騰してしまったが、所有権が“鍵を知っている人”に帰属)
  • 亡くなった人が毎朝アップしていたVR空間の天気レポートbot(本人が消えても役に立つが、誰が管理すべきか不明)

つまり、仮想遺産は制度上「所有していた」ことを示す記録が曖昧であり、相続対象として**“あるようでない”というシュレディンガー的地位**にある。

3.2 プラットフォーム依存:規約が遺言を上書きする

さらに問題を複雑にするのが、**仮想資産の大半が「サービス利用契約」によって管理されている」**という点である。
これにより、故人がどれだけ「このデータは子に託す」と遺言に記していても、SNSプラットフォームの利用規約に以下のような条項があれば、すべて無効化されうる

「利用者が死亡した場合、アカウントは一定期間後に凍結・削除されます」
「アカウントの譲渡は禁止されています」

このように、国家法よりも早く、かつ確実に作用するのがプラットフォーム利用規約であり、いわば**“私企業が死後の法を定めている”**という前代未聞の法的構造が構築されつつある。

一部SNSでは、ユーザーが事前に「死後管理人」を指定できる機能を導入しているが、その選択肢が「友人」「パートナー」「その他の人物」「AI」など、公的制度では到底想定されていない構成単位であることに注目すべきである。

3.3 感情的資産と実利の逆転:エモGIFの市場価値問題

資産とは何か──これは従来、金銭的評価に基づくものであったが、バーチャル空間ではこの関係がしばしば逆転する。

たとえば、故人が生前にSNSで生成した「やたらエモいGIF画像」が、没後にファンの間で“追悼グッズ”として扱われ、二次流通市場で高額転売されることがある。

このとき遺族が「感情的には大切なものだからお金ではない」と主張し、販売停止を求めたにも関わらず、プラットフォーム側は「著作権情報が曖昧なため対応できない」と判断、感情が勝ったのに金が動くという構造的不協和が発生する。

つまり、仮想資産は「感情的には尊重したいが、金になるから放っておけない」領域に位置しており、制度がこれを資産として認めるかどうかの判断は、倫理と金銭のあいだでフリーズしている状態にある。

3.4 デジタル家族構造と“関係継承”の新潮流

現代において、家族とは法的つながりよりも、共有するクラウドフォルダの数によって定義されはじめている。
すなわち:

  • LINEグループが一緒なら兄弟
  • Dropboxで追悼動画を共同編集したなら親類
  • 故人の作ったMiiキャラに感情移入しているなら、それは“孫”である

このような情緒と同期性による関係継承が、制度の外側で自生しつつある。

そして実際、「誰が相続すべきか」ではなく、「誰がそのデータを“語り継ぐのに適しているか”」という基準で継承者が“選ばれてしまう”文化が出現している。

これは従来の「物を継ぐ」から、「文脈を継ぐ」へのシフトであり、制度がまだ言語化できていない次元で、家族概念そのものが関係性ベースへと再定義されつつある兆候である。

3.5 小括:「価値はある、だが物ではない」

本章では、バーチャル遺産という“非物質的・非制度的・非安定的”な存在が、どのように制度的整備の枠外で増殖し、かつ現実社会の相続制度に干渉しているかを整理した。

資産はもはや物理的なものではなく、「存在しているように見え、価値があるように思われる」という、社会的演出の産物として形成されている。
そのため、相続における「何を誰に渡すか」の前提条件が揺らぎ、「定義できないものが争点になる」という逆説的局面が到来している。

次章では、こうした曖昧な資産をめぐって実際に行われた制度的対応の失敗例と、その対応がかえって混乱を助長した諸事例を検証していく。

4.対応と制度の混乱:バーチャル遺産協議会の謎解決不能感

4.1 仮想遺産制度化への第一歩:しかし方向は最初から迷っていた

令和12年、総務省情報文化財政課は、バーチャル空間上に残された“死後資産”に関する制度的対応を検討する目的で、「死後仮想資産管理検討会(Virtual Heirship Panel:VHP)」を設立。この記述はフィクションです。
構成員は以下のように選定された:

  • 弁護士(IT法専門)2名
  • 社会学者(家族概念研究者)1名
  • メタバース企業関係者3名
  • 死後もアバターで活動している人物の“関係者”1名(選定経緯不明)
  • 某キャラクターのBot管理者(代理参加)

しかし、第3回の時点で議論は「故人の飼っていたペットのSNSアカウントは誰が引き継ぐべきか」に逸脱し、
第4回では「ではそのペットがAI化されて自分の意思で投稿していたら?」という質問が出た時点で議事録が完全にフリーズした。

以降、同会議では**「議題を一旦整理するための前段階会合」を複数回繰り返し、最終的に報告書のフォーマットだけ完成して解散した。
なお、その報告書の末尾には、「本件については社会の成熟を待つ必要がある」とだけ記載されている**。

4.2 メタ遺産保管法(MEIL)の構想と文言崩壊

仮想遺産に法的地位を与えるべく、有識者会議の一部では「メタ遺産保管法(MEIL:Metaverse Estate Inheritance Law)」という草案が作成された。
しかし、法案の第1条「定義」にて以下のような事象が発生した:

第1条:本法において「仮想遺産」とは、個人の死後においてもデータ上で存在し続ける、アカウント、アバター、投稿、収集物、表現物、課金履歴、仮想土地、メタ空間上の行動記録、AI生成反応群、及びそれらに準ずるものを指す。

この文言が23ページにわたって続いたため、法案検討メンバーの一人が「ここまで書いてるのに“に準ずるもの”って何だよ」と発言し、議論が停止。
最終的に、「仮想遺産とは、だいたいそのようなものである」という暫定定義に格下げされた。

これにより、MEILは未成立のまま“概念的立法参考素材”として保存されることとなり、2026年の時点で再審議の予定も未定である。

4.3 民間の暴走:「思い出アーカイブ権」の誤作動と暴発

一部SNSプラットフォームでは、法制度に先駆けて独自の「思い出アーカイブ権」を導入した。
これは、ユーザーが生前に指定した特定人物が、死後のアカウント投稿を保存・編集・再投稿できる権利であり、「故人の言葉を未来に届ける」ことを目的としていた。

だが運用開始後、以下のような事故が多数報告された:

  • 生前非公開だったDMが“公開できそうな気がした”として一括投稿され、元恋人や旧交先との微妙なログが世界に公開される事故
  • 追悼ポストが「ありがとう、これからも生きていきます」と自動生成されるも、文体が“今の配偶者”とそっくりだったため、家庭内で不穏な空気が発生
  • 故人が生前に残した「未来の自分へのメッセージ」がBot経由で定期送信される設定になっており、配偶者が毎月“あなたへ、10年前の私より”というDMを受け続ける地獄が形成される

この機能は一部で「デジタル心霊現象」と呼ばれ、SNS側が**「気持ちはわかるが当社は責任を負わない」**という公式声明を発表するに至った。

4.4 バーチャル遺言アニメーションと“再生権”の闘争

最も混乱が深まったのは、故人が生前に作成していた「自己追悼用アニメーション」の扱いである。
これは、故人が3Dモデリング・音声合成・ナレーション・演出をすべて自作し、死後に自動的に上映されるよう設定されたものである。

問題は、これを誰が再生するのか、どのタイミングで、どの空間で、どのデバイスで流すかが一切指定されていなかった点にある。

  • 再婚相手:「これは私に向けて作られたはず。自宅で毎年再生したい」
  • 子ども:「父は私たちの未来を思って作った。学校の卒業式で流すべき」
  • 故人のAIアバター:「私は私の記憶を持っている。私が流すのが最も正確」

結果、裁判所において**“データ再生権”という前代未聞の係争カテゴリが発生**し、裁判官が「上映権は存在しうるが、死者の演出意図が解釈不能であるため審理不能」と述べ、結審となった。

4.5 小括:「制度は追いつく気がなかったのか、追いつけなかったのか」

本章で明らかとなったのは、仮想遺産に関する制度的対応が、着手段階から既に言語と論理の限界に達していたという事実である。
制度は真面目に動いたが、対象があまりにも流動的かつ詩的すぎたため、法的構文が成立する前に意味が揺らいでしまった

誰かの過去を誰かが再生するという行為が、所有なのか、追悼なのか、展示なのか、あるいはただの再生ボタンなのか──制度はその“再生の意味”すら定義しきれなかった。

次章では、このような構造的混乱を経て、我々が「家族とは誰か」「遺産とは何か」をいかに再定義すべきかを、現代の関係性社会における新たなモデルとして考察していく。

5.家族とは“アクセス権と再生権の重なり”である

5.1 家族というシステムの脱物理化

本報告書の第一章より通底してきた問題、それは「人は死んだが、アカウントは死んでいない」という事態の多発である。
この現象に直面したとき、我々が従来前提としていた“家族”という制度装置──それは物理的近接性、法的認知、血縁的所属によって成り立っていた──は、仮想空間において急速に機能停止していることが露わとなる。

代わって現れたのは、**「データにアクセスできる人間」と「再生されたコンテンツに感情を持てる人間」**を中心に構成される、関係性ネットワークとしての家族構造である。

この構造では、以下のような現象が平然と並存する:

  • 法定相続人ではないが、一番最初にAIアバターの管理画面にログインした友人が実質的な追悼プロデューサーになる
  • 血縁者は知らないが、メタバース上の“想い出の庭”に通い詰めていた第三者が、最も多くの故人記憶データを保持している
  • 家族全員がパスワードを知らず、故人が生前に接触していたチャットGPTが“最後の会話相手”として唯一の証言者になる

つまり、家族とはもはや“法的単位”ではなく、“誰がどこにアクセスし、どの思い出を何回再生したか”の統計的重なりによって再定義される。

5.2 情報の持ち主と記憶の持ち主の分離

さらにバーチャル遺産の時代においては、「資産を持っている者」と「資産を意味づけできる者」が分離する傾向がある。
たとえば:

  • 故人のアカウントにアクセスできる者は、そのログイン情報を保有していても、そこに何が書かれているかの意味を知らない
  • 一方、物理的な関係性がなかったフォロワーや遠方の友人が、投稿一つひとつに深い物語的解釈を与えている

この状態は、もはや所有の概念を崩壊させ、**「意味を読み取った者が記憶を継承する」**という文化的継承主義へと移行している。

つまり、物を継ぐのではなく、解釈を継ぐ時代が到来しているのである。

5.3 再生ボタンに宿る正統性

家族の定義が曖昧になる中で、ひとつだけ確実なものがある。それは**「誰が“再生ボタン”を押すか」**という行為の記録である。

再生された音声、アニメーション、動画、ログ。
それを誰が、どこで、何のデバイスで、何回視聴したか。
この累積が、“あなたは誰の死を見つめていたのか”という事実の指標となる。

そして今、再生という行為そのものが、新しい追悼、そして新しい相続の形となりつつある。
それは所有や管理ではなく、**「関係を継続するという意志」**の表明である。

5.4 家族とはログインIDと再生履歴である(かもしれない)

法が追いつかず、倫理が先走り、感情が制度を追い越したこの世界において、家族の定義はやがて以下のように再構築される可能性がある:

「家族とは、ある存在に関して、アクセス権(Access Right)と再生権(Replay Authority)を重ね持った者たちである」

これに基づき、以下のような仮説的社会構造が想定される:

  • 一次家族:IDとPWを共有している関係(主に実利目的)
  • 二次家族:公開データに感情を持っている関係(主に記憶目的)
  • 第三種家族:アカウントにログインはできないが、毎日再生している関係(主に信仰目的)

このように、家族は固定された構成単位ではなく、「何をどう継承する意志を持っているか」によって動的に形成される関係群となり、
そこでは戸籍や血縁といった近代制度がバージョン更新に対応できていないフォーマットとして残存するのみとなる。

5.5 結語:アクセスできるということは、語り直す責任があるということ

バーチャル遺産は、物質的な終わりを持たない。
アカウントは消されるまで残るし、再生可能な思い出は、永遠に“起動できてしまう”。
このとき重要なのは、**「残っているか」ではなく「再生されているか」**である。

再生されるたびに、誰かの死はもう一度意味を問われる。
再生した者が、再定義の語り手になる。

そして、語り直したことそのものが、新たな家族性を発生させる
家族とは、記録を見る者。思い出を保存する者。時々、ログインして黙って見つめる者。

我々がこれから向かう社会では、アクセスすること自体が、責任であり、愛であり、遺産であるのかもしれない。

※このお話はフィクションです。